我々、全てにかかわる[真相]を告発するためのブログ

絶版本・希覯本からでもこの世界のシステムの問題は語れる

 前頁に引き続き
 本ブログを問題なく正式運用できる()ようになったと判断した後、公開することになるだろうコンテンツについての言及を続けよう。


当該ブログにつき、正式運用に先立ってテスト運用期間を設けている理由について触れておこう。その点、企業のカラーの問題などから「本来なら言論自由の空間であるはず」のネット上で言論を展開するのも労苦を伴うということを最近になって思い知ら"された"からテスト運用期間を設けているのである。(:企業の色とネット上の言論の関係に関して[極々単純化させた可能性の問題]を述べれば、である。「例えば」の話としてこういうこと"とて"観念できる。「貴方が無料ブログを公開したとしよう。それがブログサービスを提供する企業の主要閥を構成する性質が悪いグループにとり都合が悪い情報を含むのなら、そのブログはブログサービス提供会社に削除され"うる"。日本では予告せじのブログ削除ケースがあると言われるが、その中にはそういうケースも入って"いうる"のである」。右は私のような人間が回避を試みている危険性にまつわる話だが、とにかくも、[ネット上で言論活動を展開すること]はその折、利用する必要がある企業 ―業態は様々だ― に影響力を行使しうる圧力団体に「有形・無形の」手法で邪魔される余地が多分にある行為なのだ)。
 上述したような理由から、本「自己設置型ブログ」に関して「も」テスト運用フェーズを設けるほどに慎重になっているとし、述べるが、仮に、本ブログで正式に言論を展開できると判断。実際にそうしだした後にも、だ。
 検索エンジンサイドにコンテンツを衆目に触れさせないようにするペナルティーを課すような大義名分を与えるような障害が当方の帰責事由によらぬ方向で起こることとて観念できる ―そうなれば、望まぬ方向で私も「反作用」を行使せざるをえなくなるが―。
 実に嫌な世の中だが、そういうことに関し、証跡を残し、かつ、わざわざ、この場に断り書きをせねばならないのが、この世界である
)。


 さて、本ブログでは日本の書店では書店規模の大小を問わず見受けることが出来ない絶版本・希覯本(希覯本「きこうぼん」とは流通量が少ない書籍のことととってもらっていい)を材料にも皆に考えてほしきことを訴えていきたいとも考えている。

 そのように述べると、『好事家向けの話でも展開する気か』と思われる向きもあるだろうが、違う。先の頁でも言及しているが、本ブログは

「我々、全員にとり重要であると定置する問題を客観的かつ証拠主導方式で訴えるために構築した」ものである。

 好事家 ―書物を愛でることに執心するような人種、ビブリオフィリア/bibliophileと呼ばれるような者達が絶版本や希覯本といったものに対する一般の好事家理解となろうか― にしか好まれないような話を展開するつもりは「元よりない」。

 これからの世界を担う若い世代のために、そして、そもそも論の話として、これからの世界が本来あらねばならない、多くの人間の生存を伴ったものとして眼前に広まっていけるような話を展開するために設けた本ブログで好事家向けの話に特化した話などなさないが、

 では絶版本や希覯本の類からどのように我々全員にとり重要な話を展開するというのか

 それについては本ブログを正式運用する段になってからアップロードする該当記事を実際にお読み頂き、ご理解いただきたい。

 尚、補足しておくが、日本の言論の[標準的品質]は電子媒体の世界だけではなく、絶版・希覯本を包摂する"本"という紙媒体の世界でも「恐ろしく」低い。何故か。に関しては、この国の「書籍流通システムの問題」も一面で関わっていると言える。試みに書店に行って、ラックに収められている本をよくご覧になられてみればいい。率直に述べてしまえば、実用書を除き大半がジャンクだ。私のような人間から見れば、絶版・希覯本の類のように書籍流通システムから排除されていった本にはそれらジャンクとは比べ物にならぬ程、情報的価値の高きものがたくさんあるのに、ジャンクしか人目につくところには置かれていない。 毒にも薬にもならぬジャンクばかりが生かされる日本の書籍流通システムの構造的欠陥に関しては必要に応じて事細かに本ブログでも触れていくが、絶版本や希覯本を軽んじることだけはとにかくもしないでいただきたい。


カトリックの衆徒 ―というより、衆徒が多数を占める地域― の書籍流通の形態に多大な影響を与えた「禁書目録」。その禁書目録の方向性を決したのが上に見る16世紀登場のトリエント版禁書目録だが、のようなものが[見えざる言論統制の要綱]としての役割を前世紀に至って終えたというのは虚偽だ。現代社会にあっても「簡単に」手にとれる書は限られたものしかなく、そうした書をもって知ることが出来る情報もまた極々、限られたものとなっている(特に日本は酷き状況であると言える。その独特なる書籍流通システムから)。


(本記事を読まれて、『青っぽい文系人間がインテリくせえ話をしていやがるな』と思われた方が仮にもしいたら、そういう方には三点ほど、述べておきたい。まず、一点目だ。「私は文系人間などという範疇で括られたくはない」。文系と理系という括りは愚か者の製造システムの中で育まれたシステムだ。二点目に、インテリくせえ、云々だが、私の見方では反知性は、そう、インテリとインテリではない領域に区切りを設ける発想法 ―体育会系・マッチョ礼賛の発想法でもいい― はそれ自体が[システムの奴隷の発想]だ。己が奴隷だと思っていないなら、インテリくせえはNGワードだろう。三点目だ。確かに私は ―直近、システムの奴隷向けに形作られた概念だろうとしたが― 「インテリ臭い」と見られても仕方なしか、といった物言いをしている。しているも、本質的には我々、全員が耳を傾けねばならぬ話しかしない。言葉に権威を求める者ら好みの雅文コンバーターを部分的にかけているのは戦いの前に丁寧なやりとりが交わされるのと同じようなものだ ―それだけ世の中の状況が切迫しており、ために私も真剣だということだ― と認識しておいてもらいたい)。

2011年4月29日│ 記事包摂カテゴリー:[ブログ公開にあたっての冒頭の辞

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