我々、全てにかかわる[真相]を告発するためのブログ

メガ・リチュアルこと一大儀式としての911。右は「証明可能なこと」である

 さて、「2001年に起こった911の事件は意図をもって実施された一大儀式そのものである」ことを示すためにものした本記事本題に入る前に、である。冒頭から述べさせていただくと私にはブログという媒体に対する偏見がある。本記事を載せているのもブログなのだが、ブログという媒体に対する払拭しがたい偏見があるのだ。

 何故か。次のようなことをよく知っているからだ。

ブログが”本来なら”公益性高き議論が展開されて然るべき場、インターネット上に[属人的で公益性低き私人の話題]や[広告収入目当てで機械的に自動構築された精神性皆無のジャンク]が横溢する原因になっている。によって、万人が聞くべき声が騒音に掻き消されてしまうということもままある

組織的にネット上の公論 ―多数人の生き死にに関わるような本当の意味での公論― を封殺・毀損する手法には検索エンジンサイドからなす[絶対的情報統制]と情報にアクセスしにくくさせる[相対的情報統制]があるとも分類できるが、[情報未満のもの]の放流という式でブログは大衆掲示板と並び、後者に用立てられる媒体と言える。意図などなく、唯、己一人の小さき利を求め、そう、二束三文の口銭目当てのためだけに情報未満のものをばら撒いている類が過半であるとは見受けるも

数多の[嘘情報]や[根拠に基づいていない信用性低き言説]を”確信犯”的に広めるための媒体にブログが用いられる局面もある

日本語ネット上で[国内外にて最近になって言及されるようになった極めて公益性高き情報]を明らかにそれと分かる日付偽装 ―ブログ投稿日付は管理者経由で操作可能ゆえ掲示板群のそれ同様、社会的信用性なきものである― などをなして、「確信犯的に」陳腐化させているようなブログを見るにつけ、嫌気がさす。 :公益性高き情報へのアクセシブリティー(到達容易性)を損なうことだけにとどまる煙幕の放出行為、すなわち、[情報未満のものの放流]=[ヒトにとっては意味をなさないが、検索エンジンに対しては意味をなすジャンクの撒布]と、である。アクセス可能な情報の公益性それ自体を意図して損なうための[陳腐化情報の放流]=[投稿日付偽装とワンセットとなった露骨で下手な剽窃行為やその他、ヒトを欺く諸種捏造を伴った情報操作]は厳密には異なる行為なので両者を別個のものとして扱っている。醜行為はしばしば複合的に用いられるということも[国内外911関連情報検索結果の録画内容経年比較]をもってよく知ってはいるも

 以上は予断・偏見「のみ」が先行した物の見方ではない。本記事冒頭よりブログという媒体には偏見がある、と述べてはいるが、私一人の予断・偏見のみが先行した物の見方ではないのだ。
 その点、皆様の中にもおられるのではないだろうか。先の大震災の折、ネットで関連情報を検索した際、何故だか、公益性高き情報を差し置いて泡沫ブログ、ほとんど意味あることを書いていない泡沫ブログが検索結果に表示され、煩わされたという方々が。あるいは、社会問題 ―911の背後関係といったこともその範疇に入る― について調べようとして、子供や当該問題への非事情通でも口にできるような稚拙な物言い ―論理的でもなければ、根拠にも基づいてもいない物言い― のブログばかりが表示されるのを目にし、腹立たしい想いをさせられた、という方々が。少なくとも、私の友人・知人の中にはそういった心中を吐露されている向きもある。

性質が悪いのはそういう一般的なケースに検索エンジンサイドやサーバーサイドでの不正操作による[絶対的情報統制]が複合作用した場合であり、によって、多くの人間の生き死に関わる情報 ―本ブログで扱うのも主にその系統の客観的証拠を伴った情報だ― が世人の目に触れ「させられなくなる」場合であるが、それについてはここでは細かく述べない)。

 が、のっけから述べた、そういった[媒体としての問題]を念頭においた上でなおブログに有意義性があるのも事実である。

 「誰でも真実を、世を変えうる告発を、万人の福利につながりうるアイデアを手軽に発信できる」。

 今回、私は上に言うブログの有意義性に賭け、世に訴えたき情報を「根拠とともに」ブログで発信してみることとした。
 この忌まわしき矛盾で満ち満ちた世界を人一人がいかに変えうるか、ということを試し、そして、勇気ある方々に示したかったために、である。

 そのように本ブログ立ち上げの動機を述べた上で、である。
私は匿名でネット喫茶のようなところからでもいい。本ブログに掲載するに足る[勇気ある方々からのお便り]をお待ちしている)。

 世に訴えたき情報 ―万人が声枯れるまで議論せねばならぬ公的問題にまつわる情報― の中身の話に入る。

「確たる[根拠]を呈示しつつ、下のA-Cを訴求する」

という具体的中身の話に入る。

A.911の事件は[イスラム過激派による反米主義が極まったところとしてのテロ]などでは断じてない。陰謀論者と呼ばれる者達がそれ相応の話柄にて主張する[極々少数の人間が裏で糸を引いていた陰謀]でもなかった[ある程度のまとまった数の人間]が事前にそれ(ビル群倒壊)を引き起こす方向で動かされていた[一大イベント]、メガ・リチュアル(※1)こと[巨大儀式]とでも表すべきものだった。

(傍注)※1: Mega Rituaメガ・リチュアルは[巨大儀式]の英訳。同語、今、現在にあって、海外で悪事 ―911絡みの悪事― の告発者達に問題視されている語である。

B.上のAで述べた儀式。その実現のために動員された者達、儀仗兵とでもいうべき者達は[フリーメーソンの駒]である。

C.直近、911の立役者だと指摘したフリーメーソンの者達。多く自身たちが「何故、それをやらされたか」すら分かっていないように映るそうした者達を問責しつつ述べるが、儀式の目的は次のようなものであるととれる。
 「結末へ向けての事前意思の表明ととれる。そこに言う結末は人類全体にとって望ましからざるもの、最悪、現行人類が滅亡か、その一歩手前に追い込まれるといった程度に望ましからざるものである節がある」。

 以上のACについて以降、「要約」を述べていく。冒頭から述べたような「確たる根拠」を示しつつの「要約」を述べていく(※2)。


(傍注)※2:何故、要約どまりなのか。何故、それ以上のことをなさないのか。その答えは単純に「形式上、困難を伴う」からである。
 より具体的には、「911の事件が[テロ]でもなく[極々少数の者の陰謀]でもなく[一大イベント]であったことを完全にご理解いただく」ための詳述、というより、完全立証にはハードカバー書籍一冊分相当の文量を割く必要がある、と判断し、のようなことをブログという媒体での単発記事の重ね合わせで実現するのは困難と見た、ということがある(但し、冒頭にての言に反さず、「本ブログを読んだだけで」事態の深刻性を把握していただけるだけの話をなす。客観的根拠とともに事態の深刻性をきちんと把握していただけるだけの話をなす)。

 では、「完全な立証は問題外」だというのか?いや、違う。私は公開した自身の専門Webサイトでそれ ―膨大な字数を割いての[911の儀式性]の完全立証― をなしている。PDFファイル版の論稿をダウンロード可能にしつつ、だ
 ”簡易的なる”立証をなしつつも[独自の情報]を多分に発信している本ブログだが、そうした本ブログでの話に飽き足らず真実を完全に理解したき方々は「参照先として下に挙げた専門Webサイトを参照してもらいたい」ということで媒体の制約問題 ―ブログでは"完全"立証が困難だという制約問題― をクリア、としておきたい。

上のドメイン名でうまく検索すれば、私のWebサイトの全情報にアクセスできるはずだ。ここでドメイン名の紹介にとどめ、リンクを設けていない理由だが、
 「一部検索エンジンに右ドメインで設けたWebサイトURLの通知後、サイトが正常に表示(かつ検索)されないという[異常事態]そのものの事態が生「じた」ため、何が背景にあるのか、検索エンジンの情報収集プログラム ―クローラーと呼ばれるもの― などの挙動をリンクを貼らずに分析してみる必要があると定置している」
といった事由が介在している(リンクを貼ると検索エンジンはスムーズにサイトのクローリング ―Webサイト情報収集― をなすようになる"とも"思われるが、[異常ともとれる登録のされ方]の障害切り分けが難しくなるとも危惧している)。時期を見て、リンクを本ブログにて設けるつもりではあるものの、そういう事由があることをお含みいただきたい
)。


 「完全なる証明を求めるのなら推奨参照先を読解されるとよいだろう」との注記をなした上でまずはAからだ。

A「911の事件はテロでも極々少数の人間の陰謀でもなかった。はなから起こすことが少なからぬ数の人間に了解されていた一大儀式 ―メガ・リチュアルと英訳― であった」

同Aについてはまずもって以下の点を把握いただきたい。

 欧米圏では勇士達の告発のおかげで「911の前言 ―foretelling― が大っぴらになされていた」との[真相]が大衆にも知れ渡り出している

 上のように述べると、「合衆国当局がアルカイダの犯行声明を事前に知っていて無視を決め込んだ」との言、一部の人間 ―陰謀論者や社会派の言論人達― が拡声器で広めたがるような言を真っ先に想起される方もおられるかもしれない。が、さにあらずだ。
 前言は万人向けからマニア向けまでの各種サブ・カルチャー作品 ―コミックやTV番組や映画― の中で「組織だって」なされていたのだ(むさい中東のひげ面男が画質の悪いVTRの中で事前犯行声明を無表情になしていたのではない)。

 ここではそこにいう前言サブ・カルチャーの一ジャンルとして、[映画]に焦点を絞って着目すべき作品をいくつか挙げてみる



[事前言及映画一覧](極一部のみ抜粋)

『タワーリング・インフェルノ』(1974年公開)

[概要]
 サンフランシスコの超高層ビル落成式で手抜きによって火災発生。人員救出をめぐる群像劇が展開するという作品

[予見性]
 映画劇中、屋上のポンプを時限爆弾によって破裂させ、鎮火しようとの手立てが講じられる。その手立てにまつわる不審点が現時、取り沙汰されている。[911の事件でのビルの不自然な連続倒壊を時限爆弾による発破倒壊 ―Controlled Demolition― に求める説]との近接性を想起させるものだ、ということでだ(7WTCなどの倒壊劇は馬鹿げていると言われており、現実にビルの倒壊には発破倒壊の兆候が目立って現れていた、とされる)。
 何故か。については、『タワーリング・インフェルノ』劇中に壁に[911]と書かれたワンシーンが出てくることもある(動画公開サイトで見ることが出来る英語動画で私が教えられたことだ)。
 だけではなく、―極めて大きなこととして― 『タワーリング・インフェルノ』が原作の時点で911との関係性を感じさせるものである、ということもある。
 映画『タワーリング・インフェルノ』は別々の塔(高層ビル)の火災を扱った二つの小説を原作としているのであるのだが、[二つの別々の高層ビルの火災を扱った原作]ということで[二つの塔]の崩壊を前言しているようにもとれる。そして、そこにいう『タワーリング・インフェルノ』原作小説二作品、1973年出版の The Tower『ザ・タワー(邦題:そびえたつ地獄)』と1974年出版の The Glass Inferno『グラス・インフェルノ』のうち、前者の『ザ・タワー(邦題:そびえたつ地獄)』の粗筋が次のようなものだったことが問題となる。
 「ビル落成式にあたり火災発生。階段での脱出が不可能になったため、隣接するWTC ―いいだろうか。現実に911の事件で崩落したワールド・トレード・センターである― に架け橋をかけての脱出が試みられる。が、結局は火災で大多数の人間が死亡する」。
 そこから、発破による破壊を重要な要素として含む映画『タワーリング・インフェルノ』、一瞬、壁に911の文字が描かれたワンシーンが登場する同映画のモデルとなった高層ビルは[WTCと密接に関わり合いのある二つの塔の片割れ]と言えるのである。

後日付記:上に書いたことにつき映画『タワーリング・インフェルノ』を久方ぶりに視聴し『日を改めた上でも補足しておく必要がある』と判断したことが出てきたので、その点、書いておく。さて、オンライン上で公開されている[911の事前言及を扱っている英語動画]では映画『タワーリング・インフェルノ』での[壁面に911と描かれているカット]が確かに強調され示されているのだが、映画を普通に視聴する限りそれは[サブリミナルの域を出ないもの]との心証を抱かせるような形となっている(であるからこそ重要という見方もできるのだが)。ために、そのような普通には気づきがたいこと ―911が壁面に描かれているというカットの存在― を本ブログで強調していることには「問題があった」との追記をなす必要を感じたのである ―直近の話で恐縮ではあるが―。ただ、誤解を避けるために言っておけば、映画『タワーリング・インフェルノ』があまりにもかぐわかしいものであることに何ら変わりはない。劇中、[各桁を足すと9になる三桁の数字][110のように各桁を足すと11になる三桁の数字]が交互に頻出し続けるといったこと ―意識して映画を見ると気付けるだろう― 火災に見まわれる超高層ビルがこれぞまさしく[双子の塔]状の外観を呈すること(複数原作小説の片方のWTC登場を受けてかもしれないが、映画『タワーリング・インフェルノ』の場合、ニューヨークではない別の場所で何故か殊更に双子の塔を意識させるようなビルジングを登場させていることが問題となる)や劇中での台詞が後の人災によるビル災害を予見するようなものになっていることといった各要素が払拭しがたいものとして存在しているからだ

『スーパーマリオブラザーズ 魔界帝国の女神』(1993年公開)

[概要]
 日本のゲームソフトウェアの映画化作品。この世とは次元を異にする異次元に住まう恐竜から進化した種族がこの次元への進出を企図しているとの筋立ての映画である(※3)。


(傍注)※3:そのような筋立てとデービッド・アイクという男が20世紀末 ―映画公開よりおよそ6年前後、後― より広めだした「人類を影で操っているのは爬虫類人・レプティリアンである」との説の時系列齟齬、及び、その齟齬の背景にあると考えられるものについては私の公開著作 ―本来なら昨年上半期、商業出版されていたもの― を参照いただきたい。


[予見性]
 911の事件の8年前に封切られた上映画の劇中、[風穴が上階に空き、倒壊するワールド・トレード・センター(WTC)のツインタワーの描写]が登場する。8年後の911の事件を露骨に予見するように。同点については映画が公開されるより僅か3か月前の1993年2月にWTCの地下 ―映画で風穴が開けられたような上階ではない― でテロが発生したということがあったのだが、[地下駐車場でのテロ]を映画に急遽、反映させることが出来たとは思えない。そして、映画の描写と「1993年の」地下駐車場のテロの被害状況にはあまりにも差異がありすぎる(映画でのWTC上階の穴開き倒壊描写は出来すぎている)。
 また、映画『スーパーマリオブラザーズ 魔界帝国の女神』では「並行次元で恐竜から進化した連中の拠点であるクッパ・タワー(Koopa Tower)とWTCがリンクしている」との設定になっているが、そのクッパ・タワーが劇中、次元の接合がなされた折、「一時期的にニューヨークのWTCに取って代わってしまう」と描写されていることも実に意味深い。何故か。現時、物理学系のベスト&ブライテストを用いての[次元を接合させかねないとも指摘される実験]がフランスとスイスの国境で行われているからであり、その実験と911の事件の間には[背景となる共通思想]と[共通点]が垣間見れるからだ( World Wide Webシステムの産みの親でもある欧州原子核研究機構による実験。同実験については私のWebサイトを参照いただきたい)。

『ビッグ・リボウスキ』(1998年公開)

[概要]
 主人公 ―ぐうたら男との設定― が日常の延長線上としてのトラブルに巻き込まれるさまをボウリング・ゲームを軸に描く。

[予見性]
 主人公が小切手をきるシーンが登場するのだが、そこで「一瞬だけ」描写される小切手記載日付が1991年9月11日となっている(同時多発テロとされる例の事件の丁度、十年前)。しかも、同小切手記載シーンが[(父)ブッシュがサダム・フセインのクウェート侵攻を批判しているTV番組放送の場面]とワンセットになっている(1998年制作の『ビッグ・リボウスキ』は何故か、1991年の第一次湾岸戦争終結後に舞台を設定している)。ために、映画は911と続くイラク ―空中庭園伝説などでも有名なバビロンの地― 侵攻を予見していたものとも指摘される。
 さらに『ビッグ・リボウスキ』に関してはこういうこともある。
 「劇中、意味ありげなシーンで登場するロス郊外のパサデナという地名。同地のZIPコード(米国郵便番号)は91101からはじまる」(※4)。


(傍注)※4:91101は無論、911/01ということで2001年9月11のテロの日付を想起させる。同点については類似の他例、映画MATRIX『マトリックス』の例 ―後述― も参照のこと


『マトリックス』(1999年公開)

[概要]
 機械に支配された仮想世界に生きていることに気付いた青年が現実世界と仮想世界の間を行き来し、機械に立ち向かうとの筋立ての映画。

[予見性]
 劇中、一瞬登場する ―そう、『ビッグ・リボウスキ』の小切手日付と同様、一瞬だ― 主人公のIDカード(パスポート)の有効日付。それが11/SEP/01、すなわち、2001年の9月11日になっている。言うまでもなく、2001年のあの事件の日付である。
 また、米国で『マトリックス』が公開されたのは1999年3月だが、日本で『マトリックス』が公開されたのは1999年9月11日である。無論、以上のようなことが全て合わさって偶然で起こる可能性は「恐ろしく低い」。

『ファイト・クラブ』(1999年公開)

[概要]
 週末殴り合いクラブの暴走を描いた映画。多重人格も大きなテーマとなっている。

[予見性]
 完全に911テロの犯行予告映画となっている場所/攻撃対象物/結末。それら全てを現実の事件とほぼ一致する形で ―現実の事件の二年前に― 予見している(細かくは私のWebサイトを参照いただきたい)。はっきり言ってしまうが、そのようなことが偶然として現出する可能性は、そう、天文学的に低い※5)。しかも、『ファイト・クラブ』は911のテロを計画していた連中がどういう形態で動かされているのか、という内幕を[身内の視点から茶化しているような構成]をとっているようにもとれる。


(傍注)※5:例えて言うならば、こうだ。「あるカルト団体が地下鉄内で神経ガスを撒くとの筋立ての映画があった。そして、現実にその映画の設定と[同じ場所]、地下鉄構内の特定箇所で数年後、カルト団体 ―映画で取り上げられていたのと属性を共有するカルト団体― によって神経ガスが撒かれた」。右はオウムという狂った人形の集団が起こしたような事件を材料に事態の重要性を ―犯行予見映画は目立って日本にはなかったという現実を抜きにして― 述べたものであるが、[偶然の一致]でそのようなことが起こるとは思えないだろう?単純化した『ファイト・クラブ』に見る前言 ―真相にまつわる前言― とはそのような性質のものである。


 どうだろう。以上、挙げた極々一例としての映画作品5例(『タワーリング・インフェルノ』/『スーパーマリオブラザーズ 魔界帝国の女神』/『ビッグ・リボウスキ』/『マトリックス』/『ファイト・クラブ』の計5例)だけとっても「911の事件はイスラム過激派のテロだった」などと口が裂けても言えないことがお分かりいただけたのではないだろうか。単純に確率問題上の話として、だ。映画『ファイト・クラブ』に付した傍注の内容を繰り返すようだが、「何月何日、どこそこで何をやる」といった風に解釈できる事前予告が複数方面から断片的(ないしは まとまった形にて)なされていて、現実にその通りになった。その通りになっただけではなく事前言及 ―その中の一部は完全に犯行予告そのもの― の出所がイスラムの過激派でないのだから、イスラム過激派のテロに"こと"の本質を求めるのはあまりにもナンセンス。そういうことである。

 では、イスラムの過激派テロでないのなら、何だというのか。

 「極々少数の者達だけに、ではなく、ある程度のまともった数の人間たちに起こされることが事前に知らされていた」「巨大儀式である」

 それについては
「極々少数の人間のみが舞台裏から陰謀をめぐらせていたという類ではなく、ある程度の数の人間達に起こされることが事前に知らされていた」
という点から述べる。

 さて、ここで唐突だが、読者は日本の極めて有名なサブカルチャー作品に『20世紀少年』というものがあるのをご存じだろうか。同作品、原作漫画から映画化もされ、多数の人々に視聴されたものである(貴方がまだ『20世紀少年』を目にされていないなら、その精読または視聴をお勧めする。[現代人の勇気と絶望]そして[隠喩]が「半面半面で」込められている作中から多くを学べるはずだ)。

 その『20世紀少年』の原作に存在し、劇場版でカットされていたワンシーンに次のようなものがある。

 「主人公たちが劇中設定上の2000年末同時多発テロを防ごうとしていた、劇中にいうところの[血の大みそかの事件]を防ごうと四苦八苦していた際に、である。主人公たちの苦闘の有り様をインナーサークルの人間達 ―”ともだち”と呼ばれる者達― が極めて大勢、集まって秘密の生中継で見ながら、笑いころげていた」。

 もう何が言いたいのか、半面でお分かりの方も多いか、と思う。

 そう、

 「2001年の同時多発テロと呼ばれるものに関しても、漫画『20世紀少年』のトモダチ達のようにそれが事前に起こることを知っていた連中がいた。秘密の生中継の場に衆をもって参ずるようにまとまった数として多数いた。そうした連中の内面は ―神秘主義者が言うところによる"魂"というやつを毀損されているがゆえなのか― 殺戮行為発生を暗黙の了解事としながら、平然と眺めていられるほどに鈍磨している(漫画『20世紀少年』描写のように笑い転げていたかどうかは知らないが、”罪”科は同等だ)」

と言いたいのだ。

 何を馬鹿な、と思われるかもしれない。だが、馬鹿なことを言っているつもりは毛頭ない。よく考えてみればいい。上に挙げた極々一例の前言 ―ハリウッド映画に見る前言― を「はきとした形で」なしうるのに一体どれだけの人間が事件発生を事前に知っている必要があるのか、と。極めて大勢の人間が知っていなければ、露骨な前言は成り立たない、と考えるところだろう(そうは言いつつも、真相につき、そのようには思われない向きも多かろうから、同点についてはこれから詰める)。
 その点、”ともだち”の問題ではなく、アメリカの諜報機関 ―情報攪乱工作も十八番の実に性質の悪い”人形”達の組織だ― が極々一部のハリウッドの映画監督たちをこっそりと脅迫。隠喩をまぶさせた、との見解を示す者達 ―イルミナティ云々と「根拠なく」口にしている連中とは声色を異にする常識系の陰謀論者たちが殊にそうだ― も海外にはいるが、「関係者数を極小化する方向、通り一通りの陰謀論の方向に進みがちな」そういった見解は容れるべきではない。
 何故か。
 一に、映画『ファイト・クラブ』をよく見てみれば分かることだが、同犯行予告映画が「市井に紛れ込んだ多数の人間 ―ファイト・クラブの成員― の協力によってビル倒壊事件が起こることを描写している」時点で[多数人関与によっての911の事件現出]が合理的に疑われる(くどいが、『ファイト・クラブ』は見様によってはそれだけで「犯罪の証拠になる」ようなものである)。
 二に、上に挙げた五作品の際立った例とて一例にすぎないということがある。サブカルチャー作品群を通しての前言は「ざらに」というほどにあるのだ。「ハリウッド」や「911」といったキーワードで英語検索し精査いただければ分かろうか、と思うが、隠喩的前言作品は優に100を軽く超過するといった程度にあるのである(※6)。「諜報機関の者達が100を超える作品群に事前描写をまぶさせた?何を馬鹿な」としか言いようがないこととして。


(傍注)※6:ここでは時計の話に限局化して911の前言作品の他例を挙げてみよう。
 8時55分(あるいは8時50分)、9時11分(あるいは9時10分)、10時45分(あるいは11時45分)。それら時刻はすべて911に結びつく(理由は直下に挙げた図を見ていただければ、ご理解いただけるかと思う)。

図示したような時刻を刻む時計が「実に多く」のハリウッド映画のワンカットで挿入されているのだ。興味ある方には英語の関連動画を是非、視聴してもらいたいとしつつ、例えばである。次のような映画群が時刻を用いた前言作品として挙げられる

『大逆転』(1983):マンハッタンを舞台としたドタバタ喜劇だが、WTC(ワールド・トレード・センター)が画面に映った後、午前8時55分表示の時計 ―911を時針で指し示したもの― が映されていた。同『大逆転』を製作したのがアーロン・ルッソ、「ロックフェラー一門の者から911の事件の11か月前よりイラク侵攻につながるデッチ上げがなされると聞かされていた」人物であるのも併せて顧慮すべきこととして、だ(アーロン・ルッソが911のやらせを公言した、ということで物議を醸したのは2007年。映画『大逆転』が撮られた1983年から24年を経てのことである。その意味は各自が考えてほしい)。

『ゴジラ』(1998):日本の映画、『ゴジラ』のハリウッド版。劇中、8時55分表示の腕時計が登場する。ヘリコプター上のカメラの前でキャスターがゴジラの暴威をもって「WTC爆破以来の大惨事だ」とコメントするような同作品の中で、である。ハリウッド版『ゴジラ』が封切られたのは1998年。言うまでもなく、テロとされる事件が起こった三年前である。その点、「1993年にもWTCが爆破されているから、それが劇中のWTC爆破発言の原因だ」というのが常識人サイドのもっぱらの言い分だが、よくよく考えてみるべきだ。アメリカ版ゴジラを撮った男、ローランド・エメリッヒという男が「『パトリオット』という他の監督作品でも911の予告をなしていた」と言われていること ―貴方が英語を解されるのなら英語動画を当たられると良い― やふざけた選民主義肯定の映画をつい最近、世に出した輩であるということを、である:ローランド・エメリッヒという男は11の次の数、12が実に好きなようで後の監督作品、『20"12"』を想起させるように「アメリカ版『ゴジラ』でWTC爆破言及がなされたヘリコプターのマークに12と三角形を採用したり」している。また、ハリウッド版『ゴジラ』は[独自進化の恐竜]つながりで1993年公開の映画、上述の『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』での前言を想起させることも重要ととっている。

『クロウ 飛翔伝説』(1994):劇中、登場の時計表示が8:5510:45となっている(右『クロウ 飛翔伝説』についてはハリウッドスターの生贄殺人が行われた映画ととれるだけの事情がある。後の[ヒース・レジャーという有名俳優の怪死]絡みと共通のシンボルがまぶされたものとして。同点について興味ある向きは私のWebサイトの関連記事を参照されたい)。

『モンスターズ・インク』(2001):劇中、一瞬、現れる時計の時刻が8:55となっている(モンスターらが子供達から恐怖のエネルギーを吸い取るという筋立ての右CG映画、封切られたのは911の事件の2ヶ月後だが、何時、製作し終わったか、よく考えてみるべきだ)。

スティーブン・スピルバーグ絡みの諸作品(スピルバーグが関わった映画に911の隠喩が含まれているとはよく言われることである。例えば、『グレムリン』シリーズなどがそうだ、とも)。

 時計絡みの前言一つとってもかぐわかしい映画群が目白押しだとお分かりいただけたことか、と思う(断わっておくが、時計絡みの前言作品だけでも同じような例が他にもたくさんある。ここに挙げたのは特異なマーキング使用作品群の中のそのさらにまた一例にすぎない)。


 図を摘示したりしつつの傍注部を挟んだ上で言うが、前言作品が山とあるのなら、だ。前言の態様と併せて考えて
「911のあの事件は極少数の利権のために企てられ、極少数の関係者の手によって実現した陰謀などではない。多数人の関与によって現出されたものなのだ」
と述べることに無理がない、と「半面で」お分かりになるはずである(「半面で」を超え「完全に」ご理解いただくためにはここでの「要約」の話ではなく、ハードカバー一冊分ぐらいの文量を割いての解説 ―私が先に参照先として挙げたWebサイトでなしているような解説― を精査していただく必要があるだろう。人によっては本ブログ本ページのみによってだけでも『証明は事足りている』と思われる向きもあるだろうが)。

 以上をもって「ある程度のまともった数の人間たちに起こされることが事前に知らされていた」/「巨大儀式である」ということについて、「ある程度、まとまった人間がそれを知っていた」ことを解説し終えたので(※7)、「巨大儀式である」ことを示す話に移ろう。この世界を規定する歪で邪悪なシステムに向き合う勇気を持った方には是非、続くページの内容を精査いただきたい。


(傍注)※7:根拠主導式で解説しても「合理性や動機の問題もあって」納得しかねる、との方もいるかもしれない。そういう方には「以降の内容を読んでから、[多数人の事前認識]の真偽判断をなしてほしい」と強調しておきたい。


2011年4月29日│ 記事包摂カテゴリー:[多数人の生死にかかわる問題を「実証的に」告発する

ご意見、歓迎いたします (皆の声が硬直した世界を変えられるように)

メールアドレス ―任意記入― の情報がブログ上に反映されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>