我々、全てにかかわる[真相]を告発するためのブログ

欧米で物議を醸すレプティリアン関与説から歴史の根本的偽造まで

 前頁に続き、

「本ブログ、[私人のどうでもいい問題をインターネットという公共の空間にさらす類ではなく万人にとり重要であると定置する問題を客観的かつ証拠主導方式で訴えるために構築した本ブログ]を正式運用する段になった際に、どういったテーマを取り上げるつもりか、そして、テーマ選定の理由は何なのか」

に言及しておくこととする。

 さて、現段階の方針として
レプティリアン関与説や歴史の根本偽造問題といったことも大きなテーマとして本ブログで扱う」つもりである。

 そう述べた上で、ここでは限定列挙方式で歴史の根本偽造問題と併置して挙げた「レプティリアン関与説」についての解説をなすことから始めたい。

 その点、そもそももって、
『レプティリアンとは何だ?それが何にどう関与するっていうんだ?』
という方もおられるだろう。
 おられるだろうから、解説するが、

「レプティリアンは英語の綴りでreptilianとなる語で本来の字義は「爬虫類の」「陰険な」を意味する形容詞であり、「爬虫類」を意味する名詞であるが、現時、Rと大文字ではじめて別の意味で使われることが多くなっている語である。そう、「爬虫類人」ことReptilianとの意味で使われる語である。
 要するに、レプティリアン関与説とは爬虫類人こと[人型に進化した知的爬虫類]の実在を観念し、それらが人間を支配しているとの説である」。

 以上、紋切り型に一言、述べたことに対し、こう返す方もおられるかもしれない。

「じゃあ、何か?人類の支配者はトカゲ男だか、フロッグマン ―蛙は正確には爬虫類ではないのだが― だか何だか知らないが、そういうものだっていうのか。信じられるわけがないだろう」

 常識でもって見れば、そう返すほうが「正常」であるように見える。であるが、残念なことにレプティリアンReptilian関与説には支持材料が「あまりにも」多すぎる。諸種文化事象・歴史的遺物 ―古典や神話・民話― がレプティリアン関与説の支持材料を含んでいることが「非常に」多い(実に馬鹿げても聞こえるだろうが)。だけではない。こともあろうに、「およそ、これは人間業ではないだろう」と見えるような歴史的事象の結節点 ―伝承や神話の一致性・相関性― の背後に爬虫類、しかも、人としての特質を併せ持った爬虫類(要するに爬虫類人と称すべき類)の比喩が露骨に垣間見れたりもする

 レプティリアン関与説は真摯に向き合うべきものなのだ。私は爬虫類人・レプティリアンなど直に見たことがないから、のようなものがこの醜き世界 ―"本質"のレベルで問題を抱えた者らが不正行為を行ってもそれが看過されてきた世界― の支配者であると確言・断言はしないが、

 「そういった類 ―Reptilianと表すべきようなヒトではない者― が人類を支配しているのだろう、といった見立ては多分、真実なのだろう」

とまでは言ってしまっても構わないと見ている。

 ここで、懐疑心旺盛な方々はこう突っ込むだろう。

「何、『多分、真実なのだろう』?寝言は寝てから吐きやがれよ。『多分、真実』ってのは印象論の話にすぎないじゃねぇかよ」

 無論、そのような反論が返ってきて「当然」のことと思っている。

 少なくとも、ここまでの拙文をご覧になられた限り、そう、「それだけ」であるのなら、だ()。


※:この際、日本語のネット上にて上のような突っ込みがあって然るべきような風土を醸成している詐狂者 ―狂人の振りをした者達― としか見えない連中がおり、彼・彼女らがレプティリアンによる支配説をニューエイジャーチックに「誉め殺す」ように支持する幼稚な印象論や馬鹿噺を展開しているといったことは忘れても、である。上のような物言いが一般に誤解を招きうるのは当然のことであろう。ちなみに、かなり昔より一部の人間の間にその可能性が検討されていた節があるレプティリアン関与説を最大限、大衆に広めるのに寄与した人物、10数年前の主張開始をもって大衆に広めるのに寄与した人物としてデービッド・アイク( David Icke )という人物が挙げられるが、彼もまた、部分的にニューエイジャー的なる論法を用いている。しかし、デービッド・アイク本人が[自身がニューエイジの徒であることをニューエイジのやり口を批判したりしつつ否定していること]を抜きにしても、である。「基本的には」私はデービッド・アイクに対し好意的だ。なぜか。一時期、英国王室の面々が[ヒトを儀式で食い殺す爬虫類人に変身する存在]などという信じがたいこと ―それが正しいか否かは貴方自身でもって判断してほしい― を目立って口にしていたデービッド・アイクだが、彼の主張の骨子は[亜空間からの大々的支配]という点にあり、[物理次元での支配]といった話 ―私はほとんど信じていない― は「ためにしてのもの」と解釈する余地があるからだ)。


 しかし、歴史的事象の結節点に人と爬虫類の両要素を持った異類の比喩を垣間見れる(歴史的資料にそういった記述を見ることが出来る)といった一言、触れた話があるだけではない。現代社会「にも」レプティリアン関与説(のようなもの)を容れなければ、説明がつかないような異常領域 ―およそこれはヒトが[生(なま)の自己]で出来ることではないだろう、という領域― があり、によって、レプティリアン(と表すべき存在)による支配・介入説を観念せざるをえないような側面がある

 以上が「レプティリアンの"ようなもの"が関与しているのは多分、真実なのだろう」と述べるもうひと押しの材料であり、に対して、印象論にすぎないと異論を差し挟まれることは早計である、とする理由である。

 ここで再度、懐疑心旺盛な方は口にされるかもしれない。

 「あんた、現代社会「にも」レプティリアン関与説を観念せざるをえない異常領域があるって言ったよな。じゃあ、それは何なんだよ。それをきちんと説明してから話を展開するのが筋のはずだろう?」

 対して、言えること。それはこうだ。

 「現代社会にレプティリアン関与説を観念せざるをえない異常領域があるというのが本ブログで訴える必要があると定置していることである。であるからこそ、述べるが、詳細については本ブログを正式運用する段になってより展開する所存の各論を参照していただきたい」

 ここでようやっと冒頭から書いてきたこと、

「我々全員のとって重要であると定置する問題を客観的かつ証拠主導方式で訴えるために構築した本ブログで取り上げるべきテーマにレプティリアン関与説を入れた」

ことの動機の話に話が帰着した。

 以上、レプティリアン関与説を取り上げることとした動機を論じた上でなお、しっくりこない方もいるかもしれない。

『現代社会にレプティリアン関与説を観念せざるをえない異常領域があるのを訴えることなんて出来るのだろうか。馬鹿馬鹿しい話になるんじゃないか』といった心証を抱きつつ、しっくりこないという方もおられるかもしれない。

 そういう方には次のような話、「」で括った次のような話を含んでおいていただきたい。

オウム真理教。多くの犠牲者を出した狂信者の集団。実は同カルト、複数の巨大既存宗教団体から信者を招き寄せていた団体だったとの証拠が正統派ジャーナリズム・サイドからも呈示されているのだが、ヒト・モノ・カネの流れが異常な形で異常な方向から現出していた同オウムとの兼ね合いでもレプティリアン関与説を観念せざるをえないような側面がある()。


※:オウム問題に関しては表向きはそれ専門の役者を用いて強弁させているような民族派閥などの話でも「説明できてしまう」のだが、見かけに騙されてはいけないと強調しておきたい。民族派閥を造って対立を現出するのはこの世界を統治する ―というよりこの世界で遊ぶ、か― 上で[本質を支配された人間の集団を操作して世界中で遙か昔から用いられてきた手法]と見ているからだ(分割して統治せよ、の話は口にする向きが日本語のネット上でもかなり前からいたことと思う)。豊富な社会経験(通常人より遙かに濃き社会経験にして多くの会社を鳥瞰視出来た社会経験)によってそういうことを嫌というほどに思い知らされた人間として述べるが:貴方が"本質"の問題を考えたことがない向きなら、[システムの問題]を人間レベルの差別・逆差別の問題と見て然るべきようにこの世界はできあがっている(対外折衝が多き職種に就けば多くは社会人になれば、すぐに、か)。そういった誤解を助長するためだけに飼われている連中も大勢いる)。


 例えば、である。オウム真理教にはケロヨンクラブという分派がある。その狂ったカルトの分派の命名由来については教祖麻原彰晃の代用品としてケロヨンを本尊として崇めていた ―本当なら実に楽しい連中だ― からそのような名前になっただとか、ケロヨンの人形を原点にカエル(蛙)との観点から常に持ち歩いていたからそのような名前になっただとか、諸説があるが、一つ言えることは、だ。メンバーが本家本元の狂的体質を受け継いで、身内間で傷害致死事件を起こしているそのケロヨンクラブが爬虫類"的"なる存在 ―蛙は両生類だが― を崇拝しているのはレプティリアン関与説を想起させるということだ。

 アホらしい。開口一番、そう述べたくなるのも分かる。オウム真理教が表向き敵視していて一時期、それがためにマスコミに取り上げられたフリーメーソンが実は蛇のシンボリズムを尊崇視する[蛇のカルト]と欧米で言われていることは差し引いても、だ。確かに実にアホらしい。だが、「バハハーイ」のフレーズでも有名な1960年代のTV番組由来のカエル男、ケロヨンをレプティリアン関与説を想起させるような象徴物と解さざるをえないような要素が[上層カルトの成員が構築したとも元新聞記者系の一部正当派ジャーナリストの書籍にさえ書かれる下層カルト]、オウムにはある(バハハーイと生物兵器の使用の関係性は抜きにしても、だ)。

 その端緒として信者につけられた”色”の話をする。
 捜査攪乱のために"最初に"毒ガスを撒くことをカリスマ性があったこと自体が謎である教祖に提言した男に井上嘉宏という男がいる(本当は「屑がいる」と表記してもいいのだが。 私には半分で本質を拘束されていても罪は罪だ、という認識があり、罪を犯した者はそれ相応の者として処断されて然るべきというスタンスで物を見ているため、そう言う)。その井上という男、東京は八王子の日本「文化」大学法学部に何故だか、京都の洛南高校 ―現時、有数の進学校― から不可思議に進学した人間だが(私だったら八王子のような大規模宗教団体の策源地ともなっているような東京の外れに京都から出て行こうとは思わない)、とにかくも、高校の時分に阿含宗 ―オウムに創価学会や統一教会、そして、立正佼成会と並んで人員を供給していた大規模宗教団体の一つだ― に入信した男ということではなから宗教的な人間だった。
 と、意図をもって一犯罪者のプロフィールを紹介した上で述べるが、その井上確定囚に振られたホーリーネーム(オウムの者達が教団内で用いていた人形の識別子)、アナンダというものである。アナンダ。インドの神話に登場する多頭の蛇の王 ―ナーガ・ラジャ― の名だ(ヤマタノオロチがそうであるように。オウムの狂人どもはそれを釈迦の弟子の名として用いたようだが)。  どうだろう。地下鉄サリン事件はバハハーイと口にはしなかったが、八王子のアナンダの提案によってはじまったものと言い換えられないだろうか。のようなことがレプティリアン関与説を想起させはしないだろうか。

 無論、瑣末なことを過度に強調して、一般論化しようという論法だとの批判は免れないか、とも思う(オウムで用いられていた人形の識別子たるホーリーネームはアナンダだけではなく、その他にもたくさんあるのだから)。だが、知っておくべきだ。次のようなことを。

 『オウム事件と同様のテーマを、である。[後のオウム真理教の挙動と連中の起こした事件とつながるような形]で扱っていた70年代アメリカの小説が存在している。そして、その小説は完全に爬虫類人支配説を想起させる形のものとなっている

 上にて問題とする小説の細かい中身の話は各論に譲るが、とにかくも、無差別大量殺人を図った"下層"カルトを契機にもレプティリアン関与説の話をできるのである

 極めて長くなったが、そして、その割には不十分なことしか述べれなかったが、
「万人にとり重要であると定置する問題を客観的かつ証拠主導方式で訴えるために構築した本ブログでレプティリアン支配説を折に触れて紹介していく」
という動機の説明はここまでとしたい。


蛇の象徴とともにレプティリアンとされる存在の関与を示唆するものだ、ともされる竜の象徴。その洋の東西の使用例。[左上]竜退治の英雄、ゲオルギウスを描いた15世紀オランダの絵画(ロヒール・ファン・デル・ウェイデンという画家の作)。[左下]英国19世紀製作のステンドグラスに見る竜。[右上]明治期の日本画(狩野芳崖の手による伏竜羅漢図)。[右下]江戸期の竜の画(葛飾北斎の作)。


 次いで、「歴史の根本偽造」の話についてだ(話の展開が読めていない方は本記事の表題をご覧になりつつ、「本ブログで扱うテーマ選定の理由に触れておく」と書いていたことを思い出していただきたい)。

 同「歴史の根本偽造問題」については他に構築・公開している私のWebサイトでも扱っているテーマなのだが、本ブログでも ―何の障害も生ぜず本ブログを運用できると判断した後― いくつか重要と見る独自の情報を発信したいと思っている。

 その点、歴史の根本偽造と言うと歴史を多少なりとも深く知る人間には非常に蠱惑的(こわくてき。妖しくも人をひきつけてやまない)なる話とも映ることだろう。実際、そういった方々にとっては決して退屈はさせぬ話を展開するつもりだが(私はここ数年来、洋の東西の歴史的資料に深く、だが、懐疑的に向き合いつつ、矛盾・不可解事を研究するのに余暇の一部を割いたから、そのようなことが出来る)、歴史をよく知らない方々にはあまりしっくりこない話/面白味なき話となるかもしれない。

 だが、歴史の根本偽造という話に興味を持てない方々にも以下のようなことを汲んでおいていただきたい。

「ここに一つの格言がある。

『過去を支配する者は未来を支配する。現在を支配する者は過去を支配する』

 ジョージ・オーウェル(本名:エリック・ブレア)、『1984年』の題であまりにも有名な監獄小説の書き手たる英国人作家由来の格言だが、
オーウェルの述べた『現在を支配している者は歴史の贋造によって過去を支配し、もって、過去の流れる先としての未来の動向をも支配しうる』法則 ―格言に見る法則― につき、

『過去の贋造を暴くことはそれをやらせた現在の支配者の横顔を白日にさらすことである。によって、現在を支配する者達がどういった者たちであり、その者達のこれ以上の悪事を抑止する効果をもたらしうる』

という法則も導き出せる」。

 そう、
「過去の支配 ―ここでは歴史の根本偽造― を暴く者は未来の支配を不確かにする。ゆえに、現在を支配する者は過去の支配を暴かれるのを望まない」
とも言えるのだ。

 以上をもって、歴史の根本偽造について取り上げることが一部の好事家にとってだけではなく、我々、全員に意味があることだとはお分かりいただけたか、と思う)。
※:ジョージ・オーウェルの『1984年』、人間の魂とも言うべき本質に加えて外面にまで支配・統制が及んでいる究極の監獄社会を描く同小説を読んだことがある方々は、だ。『1984年』の主人公がビッグ・ブラザー政府 ―ブラザーとはオーウェルの故地、英国由来のフリーメーソンの身内間呼称に対する当てつけだろう― の一部局、歴史の偽造を管掌している「真理省」所属の役人とされている、その設定の意味を考えてみるべきだ。私としては人間の歴史を偽造することにはそれはそれで深い意味があるからだろうと見ている)。

 これにて、本記事、「レプティリアン関与説や歴史の根本偽造といったことも本ブログで取り上げる」との意図を説明するためにものした本記事を終えよう

2011年4月29日│ 記事包摂カテゴリー:[ブログ公開にあたっての冒頭の辞

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